創業明治38年
現在 お茶の生産量日本一を誇るまでに成長した茶処 静岡県。
その昔 1905年 明治38年 静岡県島田市(旧金谷)にて当社は茶業を開始しました。
当時から生産、製造に拘り続けその歴史は100年以上。
そして更に遡る事 1830年 天保初期の江戸時代。
かの有名な浮世絵師である "歌川広重" と "葛飾北斎" によっても描かれ、
今尚 語り継がれている "島田宿" と "大井川" はまさにこの島田市となります。
"歌川広重 東海道五十三次" 〈金谷宿〉
"葛飾北斎 富嶽三十六景" 〈東海道金谷ノ不二〉
侍の世であった江戸時代が終わり、文明開化の明治時代へと時代は流れます。
明治9年に廃刀令が施行された事により、侍の時代は終わりを迎えます。
明治維新 国の近代化が進む中、侍の大和魂は心の中で生き続けました。
創業者である初代は、茶業にてその大和魂を活かす事となります。
日本茶業が発展途上だった土地から茶業をスタートさせたのです。
全く何も無かった、まさにゼロの状態からのスタートです。
当時は茶摘み、製茶まで 全てが手作業でした。
初代から二代目へと時代は大正へと変わります。
近代化を目指した二代目は、山を切り開き、山道を作る事に着手します。
山の頂上 景色一面に広がる広大な茶園を作り、茶業拡大を目指しました。
茶園作りだけでは無く、製茶機械をいち早く導入し、製品クオリティの均一化も目指しました。
人の手から機械へと徐々に変えて行く事で、生産性を向上させる事が出来ました。
これによって昭和の時代に入り、三代目からは茶園の拡大へと繋がって行きます。
しかし、茶業拡大とは裏腹に昭和前半から国の様子は変わって行きました。
満州事変、太平洋戦争へと時代は闇深くへと進んで行く事になります。
徴兵令を受けた男性は出陣し、茶業は女性が守って行く事となりました。
丸孫においても、戦争の渦中 守り抜いた茶園を今も大切に管理し続けています。
激動とも言える昭和の時代から平成に時は流れます。
茶園拡大をさせた三代目から、全自動の機械を導入し生産効率を高めた四代目へ。
時代に合わせた栽培から生産方法へと徐々に進化させて行きました。
茶園を効率良く使い 茶葉を刈り取る機械を大型化させました。
また高品質な茶葉を製造する為の製茶工場も新設しました。