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​歴  史

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1677年〔延宝5年〕 時は江戸時代 前期。

江戸幕府 第4代将軍 徳川家綱(いえつな)の時代。

この時 MARUMAGOの起源となる初代当主 “孫助”が現在の弊社住所でもある

静岡県島田市(旧金谷)に住みついたとされています。

 

"徳川家綱の肖像"



1830年〔天保元年〕江戸時代 後期。

かの有名な浮世絵師である "歌川広重" と "葛飾北斎" によっても描かれ、

今尚 語り継がれている "金谷宿" と  "大井川" はまさにこの島田市 (旧金谷) となります。

 

東海道五十三次

"歌川広重 東海道五十三次" 〈金谷宿〉

富嶽三十六景

"葛飾北斎 富嶽三十六景" 〈東海道金谷ノ不二〉


1905年〔明治38年〕

米農家として時代を生きて来た先祖達から、

後世へと受け継がれた第10代 "孫次" によって現在の茶業が誕生しました。

 

MARUMAGO 緑茶 日本茶 静岡茶



茶業創業者となった孫次は不屈の精神である大和魂を胸に、

日本茶業が発展途上だった土地から茶業をスタートさせました。


全く何も無かった、まさにゼロの状態からのスタートです。

当時は茶摘み、製茶まで 全てが手作業でした。

 


初代から二代目へと時代は大正へと変わります。
近代化を目指した二代目は、山を切り開き、山道を作る事に着手します。
山の頂上 景色一面に広がる広大な茶園を作り、茶業拡大を目指しました。​
茶園作りだけでは無く、製茶機械をいち早く導入し、製品クオリティの均一化も目指しました。
人の手から機械へと徐々に変えて行く事で、生産性を向上させる事が出来ました。
これによって昭和の時代に入り、三代目からは茶園の拡大へと繋がって行きます。



しかし、茶業拡大とは裏腹に昭和前半から国の様子は変わって行きました。
満州事変、太平洋戦争へと時代は闇深くへと進んで行く事になります。
徴兵令を受けた男性は出陣し、茶業は女性が守って行く事となりました。
丸孫においても、戦争の渦中 守り抜いた茶園を今も大切に管理し続けています。


 


激動とも言える昭和の時代から平成に時は流れます。
茶園拡大をさせた三代目から、全自動の機械を導入し生産効率を高めた四代目へ。
時代に合わせた栽培から生産方法へと徐々に進化させて行きました。
茶園を効率良く使い 茶葉を刈り取る機械を大型化させました。
また高品質な茶葉を製造する為の製茶工場も新設しました。


 


先祖代々受け継がれ、守り抜いてきた素晴らしい茶園と技術。
古き良き 日本の伝統と文化を守りつつ、今の時代に合わせた新たな形で伝えて行きたい。

価値ある日本茶を価値あるスタイルで世界に発信し提案する。
令和の時代に入り 五代目へと繋がっています。

 

MARUMAGO 緑茶 日本茶 静岡茶


も昔も自社茶園で栽培し、自社工場にて製造する。
その姿勢は変わる事無く 拘りを持ち 一貫して自社で行っています。
安全安心かつ高品質な日本茶を追及し続け、香り引き立つ緑茶を製造しています。

 

MARUMAGO 緑茶 日本茶 静岡茶



初代当主 "孫助" の時代から 約350年。

茶業創業者 “孫次” の時代から 約120年。

今も尚 同じ地にて継承と成長を続け、和の心、おもてなし、それら大和魂は丸孫で生き続けています。

 

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